2022/03/09
22:26:10
主従の証として首輪を渡す、もらうというのがあると思いますが、実は私はどちらでも構わないと思ってるんです。
どちらでも構わないというのは、渡すのも渡さないのも、という意味です。
欲しがるから渡す、って感じでしょうかね。(^^;
カタチある繋がりという目に見える繋がりを欲しがるのは、M女さんのあるあるだと思います。
欲しがるから渡す、って感じでしょうかね。(^^;
カタチある繋がりという目に見える繋がりを欲しがるのは、M女さんのあるあるだと思います。
でも実際は毎回装着しているわけじゃありませんし、儀式みたいなコトはなくなっていくものです。
正座して頭を床に平伏して「本日は調教宜しくお願いいたします」・・・なんてやってませんからね〜。www
私の場合、「シャワー浴びて来い」が合図みたいなものでしょうか。
いきなり「しゃぶれ」とペニスを従者の目の前に出すこともありますが。ww
格式ばったスタイルは私のスタイルにはそぐいません。
そこはフランクで構わないと思います。
首輪に話を戻すと、首輪は従者の証みたいなイメージはあると思います。
実際「首輪を着けてもらった」と喜ばれているM女さんが多数いらっしゃるのも知ってます。
実際「首輪を着けてもらった」と喜ばれているM女さんが多数いらっしゃるのも知ってます。
でも首輪で繋がれてなくてももっと深いココロとココロの繋がりがあれば、実は首はなんて無用の産物なんです。
ココロは見えません。
見えないから不安になる。
だからカタチあるものに惹かれていく・・・。
私が意識しているのはちゃんと自分が思うことを「伝わるように伝えてやる」ことです。
それは調教の日だけじゃありません。
日々の生活の中で時にはLINE等のテキストで、時には電話での声でしっかりと時間をかけて育んでいく。
それは調教の日だけじゃありません。
日々の生活の中で時にはLINE等のテキストで、時には電話での声でしっかりと時間をかけて育んでいく。
私はそうしてきました。
気の遠くなるような長い年月をかけて、同じことを何度も何度も、時には伝え方を変えて伝えてきました。
そして「今」があります。
気の遠くなるような長い年月をかけて、同じことを何度も何度も、時には伝え方を変えて伝えてきました。
そして「今」があります。
従者二人に色違いのお揃いの首輪をプレゼントしました。
でも今は着けることはめっきり減りましたね。
(左側の従者は卒業しましたので、多頭飼い当時の画像となります)
でも今は着けることはめっきり減りましたね。
(左側の従者は卒業しましたので、多頭飼い当時の画像となります)
目には見えませんが、今でもしっかりと首輪は従者の首に着いていますし私はリードをずっと持っています。
それは逢ってない日も同様です。
片時も離していません。
それは逢ってない日も同様です。
片時も離していません。
それが私の、私流の首輪です。
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